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단어 상세정보

江寧府 (清)

寧府に昇格した。1129年(建炎3年)、南宋により江寧府は建康府と改称された。建康府は江南東路に属し、上元・江寧・句容・溧水・溧陽の5県を管轄した。 1277年(至元14年)、元により建康府は建康路と改められた。1329年(天暦2年)、建康路は集慶路と改称された。集慶路は江浙等処行中書省に属し、録

관련 단어

寧波府

寧波府(ねいはふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の浙江省寧波市一帯に設置された。 1381年(洪武14年)、明により明州府は寧波府と改称された。寧波府は浙江省に属し、鄞・奉化・慈谿・定海・象山の5県を管轄した。 清のとき、寧波府は浙江省に属し、鄞・奉化・慈谿・鎮海・象山

建寧府

1279年(至元16年)、元のとき、建寧府は建寧路と改められた。建寧路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した。 1368年(洪武元年)、明により建寧路は建寧府と改められた。建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和・寿寧の8県を管轄した。 清のとき、建寧

寧国府

録事司と宣城・南陵・涇・寧国・旌徳・太平の6県を管轄した。1357年、朱元璋により寧国路は寧国府と改められた。1361年、寧国府は宣城府と改称された。1366年、宣城府は宣州府と改称された。1367年、宣州府は寧国府と改称された。 明のとき、寧国府は南直隷に属し、宣城・南陵・涇・寧国・旌徳・太平の6県を管轄した。

東寧府

東寧府(とうねい-ふ)は、元が平壌に設置した植民地。双城総管府と共に高麗に対する支配の拠点とされた。 1269年(至元6年)10月、崔坦、韓慎、李延齢、桂文庇、玄孝哲ら親元派が反元派である林衍の排除を口実に反乱を起こし高麗北西部の府、州、県、鎮60城を以って元朝に降伏した。翌年元朝は旧西府に東寧

永寧府

1698年(康熙37年)、清により北勝州は永北府に昇格した。1770年(乾隆35年)、永北府は永北直隷庁と改められた。永北直隷庁は雲南省に属し、華栄荘・衙坪荘の2経歴司と蒗蕖土州と永寧土府に属する卜兀山・剌不・甲母・六捏山の4長官司を管轄した。 1913年、中華民国により永北直隷庁は廃止された。 ^ 『元史』地理志四 ^

広寧府

948年(天禄2年)、遼により医巫閭山に顕州が置かれた。顕州は東京道に属し、奉先・山東・帰義の3県と嘉州と遼西州に属する長慶県と康州に属する率賓県を管轄した。 1123年(天輔7年)、金により顕州は広寧府に昇格した。広寧府は北京路に属し、鍾秀・広寧・閭陽・望平の4県と歓城・遼西・閭陽・衡家・梁漁務・山西店の6鎮と閭城・兎児窩・大斧山・北川の4寨を管轄した。

敦寧府

敦寧府(ドンニョンブ)は、李氏朝鮮における官府。京官職かつ正一品衙門。王の親族と外戚が所属する官府である。なお王族は宗親府、公主や翁主の夫は儀賓府である。 官職は成宗時代においては最高は正一品の領事、以下は従一品の判事、正二品の知事、従二品の同知事、正三品の都正と正、従三品の副正、従四品の僉正、従五

順寧府

順寧府(じゅんねいふ)は、中国にかつて存在した府。元代から民国初年にかけて、現在の雲南省臨滄市一帯に設置された。 1327年(泰定4年)、雲南の蒲蛮が元に帰順すると、順寧府と宝通州と慶甸県が置かれた。 1382年(洪武15年)、明により宝通州と慶甸県が廃止され、順寧府は順寧州に降格した。1384年(洪武17

江寧区

上元2年)に上元県と改称されている。 五代十国時代には917年(天祐14年)に呉により上元県より江寧県が分割され、両県県治は南京城とされこの地方の中心地として清末まで沿襲された。 1912年(民国元年)、中華民国臨時政府は上元

寧江区

寧江区(ねいこう-く)は中華人民共和国吉林省松原市に位置する市轄区。 17街道、4鎮、3郷を管轄: 街道弁事処:団結街道、文化街道、民主街道、臨江街道、新区街道、前進街道、和平街道、工農街道、沿江街道、鉄西街道、繁栄街道、建設街道、石化街道、伯都訥街道、長寧街道、浜江街道、鏡湖街道 鎮:大窪鎮、善友鎮、毛都站鎮、哈達山鎮

清江

湖北省利川市と重慶市の境にある斉岳山の東麓に源を発した龍洞溝を源流とする。利川市、恩施市、建始県、長陽トゥチャ族自治県を経て、長江南岸に位置する宜都市(旧称・枝城市)の中心部で南から長江へと合流している。長さは423キロメートルで、その長さから「八百里清江」という別名がある。流域面積は16,700平方キロメートル。

清寧天皇

(後の顕宗天皇)の兄弟が播磨で発見される。白髪天皇はこれを非常に喜び、天がこの二人を恵んでくださったのだと言って勅使を立て明石に迎えに行かせた。そして二人を宮中に迎え入れて皇子と認め、億計皇子を太子に立てた。 即位5年1月、天皇は崩御。『水鏡』に41歳、『神皇正統記』に39歳という。しかし太子は弟

静江府

古・陽朔の10県を管轄した。 1276年(至元13年)、元により広西道宣撫司が置かれた。1277年(至元14年)、広西道宣慰司と改められた。1278年(至元15年)、静江路総管府と改められた。静江路は湖広等処行中書省に属し、録事司と臨桂・興安・霊川・茘浦・修仁・義寧・永福・理定・古・陽朔の10県を管轄した。

元江府

元江府(げんこうふ)は、中国にかつて存在した府。元代から清代にかけて、現在の雲南省南部に設置された。 1276年(至元13年)、元により元江府が置かれた。1288年(至元25年)、元江府は元江路と改められた。元江路は雲南等処行中書省に属し、羅槃・馬籠・歩日・思麼・羅丑・羅陀・歩騰・歩竭・台威・台陽・設栖・你陀の12部を管轄した。

松江府

1277年(至元14年)、元により華亭県に華亭府が置かれた。1278年(至元15年)、華亭府は松江府と改称され、華亭県を管轄した。1292年(至元29年)、華亭県北部に上海県が分割設置された。 1542年(嘉靖21年)、明によりに華亭県及び上海県の一部に青浦県

澂江府

澂江府(ちょうこうふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の雲南省玉渓市東部に設置された。 1256年(憲宗6年)、モンゴル帝国により羅伽甸に万戸が置かれた。1279年(至元16年)、元により羅伽甸に澂江路が置かれた。澂江路は雲南等処行中書省に属し、河陽・江川・陽宗の3県と新興州・路南州の2州を管轄した。

麗江府

。1285年(至元22年)、麗江路軍民総管府は麗江路軍民宣撫司と改められた。麗江路軍民宣撫司は雲南等処行中書省に属し、北勝府と順州・永寧州・蒗蕖州・通安州・宝山州・巨津州・蘭州の7州を管轄した。 1382年(洪武15年)、明により麗江路軍民宣撫司は麗江府と改められた。1397年(洪武30年)、麗江府

江府インターチェンジ

江府インターチェンジ(こうふインターチェンジ)は、鳥取県日野郡江府町佐川の米子自動車道のインターチェンジ。日野町の最寄りインターチェンジである。将来は江府三次道路と接続する予定。 1989年(平成元年)12月14日 : 江府IC - 米子IC間の開通により供用開始。 1992年(平成4年)12月18日 :

臨江府

喩の3県を管轄した。 1277年(至元14年)、元により臨江軍は臨江路に昇格した。臨江路は江西等処行中書省に属し、録事司と清江県と新淦州・新喩州を管轄した。1363年、朱元璋により臨江路は臨江府と改められた。 明のとき、臨江府は江西省に属し、清江・新淦・新喩・峡江の4県を管轄した。